ゆるいけれど、互いにとって丁度良いところだと思うメディアルール

Pocket

こんにちは、年長さんと小1の1男1女のワーママ heaco です。

数か月前に、
私と夫がそれぞれ持っていたレトロゲーム機(ファミコンとスーファミ)を復活させました。
〈過去記事〉レトロゲーム機復活

ときどき接触不良はあるものの、
当時そのままに遊べます。

switch等の現代ゲーム機がない我が家。
我が家の子どもたちにとって、これらのレトロゲームが初めてのゲームになります。

そんな我が家のゲームとの付き合い方の話。

我が家、というか私が考える家庭でのメディアルール。

かなりザックリです。

なんていうか、
ルールがあるのかないのかわからないくらいのザックリ感。

まず、時間制限について。
これといって設けていません。

なんとなく1時間くらいが経過したら、
やんわりと声をかけます。
「目の休憩をしようよ」とか、
「ゲーム以外の何かをしよう」とか。

次、ゲームをするタイミングについて。
できれば、宿題や自学習、ピアノの練習等をやってから。
だけれど、絶対でもない。
ゲームが先で、宿題等が後になっても良いかなと。

要は、
やることやれば良し
というか。

やることやらずしてのゲームは絶対にナシなのですが、
まあ、それは最低限とも言える・・・。

他にも「絶対」というルールがあるのですが、
これもまた当然すぎるのでここでは省きます。

なぜにこんなにもザックリかと言うと、

締めすぎても良くないかな と。

ゲームとの付き合い方が超絶ユルイ我が家。

これも、子どもの様子を見て決めたこと。
また、小1息子の突然のお稽古等の行き渋りがあったことも考えてのこと。
〈過去記事〉続けるために「休憩」を選択したお稽古事情

小1息子。
ゲームの存在を知ってしばらくは、
ゲーム一択で遊び、
ハマりにハマって、
1日のゲームの時間は長かったです。

このままゲームばかりだと心配だったのですが、
ある程度期間が過ぎるとゲームに満足したのか、
今までの遊びもまんべんなく再開し始めたのです。

やはり、好きなものはずっと好き。
多趣味というかなんというか。
プラレールをやったり、動画を見てピアノ研究をしたり、外に出て遊んだり。

ゲームの付き合い方を何度もやんわり説明すれば、
それもちゃんと理解はできているようで、
宿題はちゃんとするし、
自学習もするし、
時計を見ながら自分でそれなりにコントロールもできております。

細かすぎると疲れるし、
楽しめるものも楽しめないので、
ルールを細かく設定して、
イライラしながら叱るように声をかけるよりは、
ザックリのほうが、
我が家にとっては、親も子も互いにとってちょうど良いところに収まったように感じます。

遊ぶならしっかり遊べば良し。

私とは逆に、
「1日1時間まで」と、
きちんと時間制限を設けようとする夫。

うん、おそらく大多数はこのパターンであり、
このほうが視力などの健康維持にも良いし、
時間の区切りとしてもわかりやすいというもの。
しかしなんせ、
私にとってはそのほうがストレスなんですよね。

それを提案する夫が管理をしてくれればよいのですが、
結局のところ、管理は私が主体になるわけです。

というか、そういうのが管理できるようにさせるべきなんでしょうが、
今時点で互いに困るほど管理が出来ていないわけではなく、
やるべきことはやっているからこそのゆるいルール。
互いにとってストレスが増えるのならば、
やはりそのルールが合っていないとも言えるわけで、
互いにとってちょうど良いところを探るのが結局のところ効果的と言える気がするのです。

だから、メディアに限らずルールは各家庭で全然違うわけだし、
何が良いか悪いかなんてわからないし、
そもそも良いも悪いもないかもしれない。

しかしまあ、このゆるいルールで気になるのはやっぱり目の健康や発達のこと

少しでもメディアから離れるために、
天気が悪くない日はできるだけ公園に連れて行き、
在宅時間を短くしていたことがありました。
コンプリートを目指すようにいろんな公園に連れて行きました。

雨の日はドライブに連れて行ったり、買い物に連れて行ったり。
それでも長時間のメディア遊びが気になって、
休日の過ごし方に悩むこともありました。

そんなことを悩みながらボヤいたときに言われた、
当時の上司の一言。

「1日ビデオの日があったっていいじゃない」

いろんな育児や育児番組で見聞きします。

長時間のメディア遊びは健康にも発達にも良くない と。

でも、1日メディ遊びで終わっちゃうなんて日があります。
罪悪感でいっぱいです。

そんなときに今でも何度も思い出す当時の上司のあの一言がすごく救われるのです。

もちろん、連日というわけにはいかないし、
上司のその一言に甘んじるばかりではいけないこともわかっています。
だけれど、あの一言が妙にすごく救われるのです。

こういうのってすごく必要。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です