続けるために「休憩」を選択した子どものお稽古事情

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こんにちは、年長さんと小1の一男一女のワーママ heaco です。

かなりblogがご無沙汰になっているここ1ヵ月です・・・。

言葉の発達がゆっくりなことをきっかけに、
年少さんから療育を始めた現在小1息子。

支援クラスを勧められる中で通常クラスを選択してから早半年。
本人は学校へ楽しく通い、
風邪をひくこともなく、
素晴らしいことに、
今日まで皆勤で学校へ通っております。

そんな息子のちょっと心配になった2か月前。

11月ごろから、
学校へ楽しく通うものの、
お稽古や療育へ行くことへの渋りが見え始めました。

今まで「楽しい!」と言いながら皆勤状態で通っていたところの突然の渋りだったので、
心配しました。

始めこそ、
「行かなきゃ!」という感じで背中を押していたのですがね、
やる気がない状態で通ってもプラスにはならないし、
むしろマイナスになるくらいなら、
今後をプラスにするために一時的にリセットする方が良いのかなと思い、
お稽古尾や療育を休んだり、縮小させたりすることで、
メンタル等の調整をしていました。

頑張りすぎて、
楽しく通っている学校ですら行き渋りが見られるのもなと思い、
学校に通い続けるためにというのもありました。

休んでいる間に何をするか。

とにかく自由にさせました。

11月はすべてをお休みか縮小することにし、
12月から徐々に再開することを軽く約束したうえで、
度が過ぎない程度に、
ほぼほぼ何も言わずに、
本人のやりたいようにやらせました。

休日の朝は起きたいときに起き、
遊びたいことで本人の飽きがくるまで遊んでよし、
自学習としての「ちゃれんじのワーク」もお休みOK、そんな感じ。
(学校の宿題は絶対ですが)

始めはドキドキしました。

この調子のまま突き進んでしまったらどうしようかと。

12月。
結局どうする?っていう話を息子とし、
徐々に再開。

面倒くさそうにしたり、
本心のよくわからない「休む、やめたい」という発言があったりで、
その都度どう息子に返すべきか瞬間的にものすごく考えました。

断捨離中に出てきた数年前の主婦向け雑誌の
「昭和 VS 平成 育児事情」
というコラムのとある一コマ。

昭和・・・何事も「石の上にも三年」方式
平成・・・「石の上にも三年」は古い

本人のやる気のないことにレッスン料を払ったりするのは経済的ではないし、
時間も他のことに使うべき
というのが平成の言い分。

確かに。
その方がいろいろと効率的と言えば効率的なんです。
お金も時間もメンタルも。

でも本当にそうなのかなと。
古人の言っていることはどの時代にも通ずる気がするのです。

現に私は、
「石の上にも三年」方式で幼少期はお稽古を続けてきました。

イヤでイヤで仕方がなかったピアノ教室。
何度、「やめたい」と母に言ったことか。
それでも辞めさせてもらえず、
イヤイヤながら続けること約10年。

ピアノの上達は良く、
かと言って、
ピアノが弾ければ有利だったことがあったかと言えば、
それはあまり関係なく大人になりましたが、
しかし、いろんなご縁があって、
ピアノを続けていたからこそ出会えたであろう素敵な仲間たちがいて、
あのとき、
やめることにあっさり承諾されていたら、
得られなかったご縁やチャンスがたくさんあったと感じ、
あのとき、やめることを承諾されていなくて良かったなとつくづく感じている今の私です。

何年か先に得られるものがあることを実感しているからこそ、
ことわざの意味から逸れる気もするのですが、
「石の上にも三年」方式でいきたいと思う私なのです。

逆もありです。

「やめる」という選択をしたからこそ得られるものもあって、
「やめない」選択をしたからこそ得られなかったものもあるとは思うのですが、
それもどっちかにしかならないわけで、
もしかしたら、両方得られたかもしれないけれど、
まあ、どうなるかはわからないけれど、
やっぱり何事も3年間は続けることで見えてくるものがあるという古人の教えというのはどの時代にも通ずると感じるのです。

とまあ、

本心なのか、
そのときの気分なのか、
よくわからない息子の「やめたい」発言に瞬間的に悩んで考えて、
「休憩」という選択をした我が家です。

12月から徐々に再開したのですが、
それもすんなりと再会できたわけではないのですが、
それはまた次回。

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