育児とは、人間としての器の大きさを何度も試されているような気がする

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こんにちは、年中さんと年長さんの1男1女のワーママ heaco です。

毎日悩む献立の話から思い出した、
子どもの偏食を改善していた日々のこと。

2~3歳頃に偏食が激しかった現在年長さんの息子。

今は、
なんでも食べる
とまでは言わないけれど、
それなりに好き嫌いはあれど、
食卓に出されたものをそれなりにまんべんなく食べています。

好きな献立のときは何杯もおかわりをし、
好きじゃない献立に関しては、
残したりはするけれど、
1杯分はちゃんと食べるといった感じ。

子ども優先で献立を考える毎日。

同じような献立をローテーションしたり、
前は美味しいと言っておかわりまでしたのに、
今回はあまり手を付けないとか、
その気まぐれな動向が読めなかったり、

毎日の献立には頭を悩ませます。

毎日の献立に悩まなくなる日はいつ頃にやってくるもんなんでしょう。

今日のご飯の食べっぷりはいかがなもんかと、
食事の時間はちょっとドキドキしたりするのですが、
数年前の息子の偏食の激しかった時期に比べれば、
今の食事の時間はいたって普通というか、むしろ楽しいというか、
そんな感じで、
成長を感じます。

そして振り返って思い出した。

あのとき、息子もだけれど、
私もよく頑張ったなぁと。

当時を思い出して1番辛いと感じたのは、

限られた時間の中の、
食べてくれるかどうかわからない食事作りの労力よりも、

本来は楽しいはずの食事の時間がストレスなものになること

でした。

食わず嫌いなところがあった息子。

まずは口に入れてみるところからのスタート。

嫌がる息子を前に、
応援団のように応援しながら、
なるべく笑顔で食事をすすめ、
一口でも食べたら盛大に褒め、
「怒らない」を意識をしていましたが、

私の器はそこまで大きくなく、

逆効果なことはわかっていても、
怒ってしまうことはありました。

やっぱり、いろいろメンタルがやられます。

私のメンタルはズタボロなので、
やっとの一口を頑張って褒めるものの、
もうズタボロです。

かなりのストレスでしたが、
息子も同じくらいストレスを抱えていたとは思います。

わざと遊びながら食べないなんてこともあり、
それを子どもと一緒になって面白おかしく受け流してしまうと、
今後も同じことを繰り返すと思ったので、
それに関しては厳しく叱ったこともありました。

突き放したこともありました。

ときには、涙したこともありました。

そんな私の感情の入った態度に、
してはいけないことをしたと感じたのか、

私が泣いているからか、
自分までも泣かないように我慢していたのか、
泣いていないとは言え、
精一杯反省をしているのがわかる息子の目は、
よく見るとうっすら涙目になっていて、
「ごめんなさい」を言いながら、
食べていることを証明するかのように、
「おかあさん(見て)」と言って、
口の中のごはんを見せてきたこともありました。

3歳児のその健気な姿に、
こんなことをさせてしまっている自分の器のなさに罪悪感でいっぱいになり、
今度は、
自分の器の小ささに涙して落ち込む私であり、
そんな私の姿を見て、勘違いした息子はさらに頑張ってごはんを食べたりしていました。

楽しいとは言い難い食事の時間。

この不穏な雰囲気に、
黙々と残さず頑張って食べる娘。

少し時間をおいて、
「もう怒ってない?」
と聞いてくる息子。

怒ってはいないけれど、
メンタルは疲れ切っているので、
なかなか笑顔に持って行けれない私。

力なく、
「怒ってないよ」
「息子ちゃんはがんばって食べたの、ちゃんと見てるし、知ってる」
そんなふうに言葉をかけると、
私が怒っていないことに安心したのか、
子どもなりにいつも通りに振る舞おうとしているのか
真意はわかりませんが、
いつもどおりに遊ぶ子どもたち。

まわりの空気をよく読む娘は、
私の動向をうかがいながら、
話をそらすように声をかけてきたり。

子どもなりに私に気を使う子どもたち。
しかもまだ2~3歳児。

30数年の私の器の小ささよ。

このやり取りの中で、
唯一ポジティブに捉えるならば、
2~3歳児にして、
ちゃんと自分以外にの他者に対して気遣いが出来るようになっているということか。

それにしても、

今思い出しても、
当時のことは心が痛みます・・・。

すべてが終わり、
気分もいつも通りに持ち直してきて、
何事もなかったかのような雰囲気になった頃に、
いつもの感じで帰宅する夫。

あ~、あのとき夫がいたらどんな感じになっていただろうか。
あそこまで不穏な空気になることはなかっただろうか。
あの不穏な食事の時間はなるべくしてなったことであり、
必要なことだったのだろうか。

そんなことがグルグル頭をめぐりました。

とりあえず一口を飲み込んだら、
ご褒美として好きな食事を出す
という方法や、
食わず嫌いだったこともあるのか、
食べてみたら美味しかったみたいなことが増えて、
それなりに偏食が改善したと言えるのではないかなと思う我が家。

偏食改善の道は何通りもあります。

お子さんによっては上手くいく方法もあれば、
全く効果なしなことだって当然あります。

しかし
1番意識したいのは、

食事の時間がストレスの時間にならないようにすること

でしょうか。

食事のスタート時点はいつも笑顔で始めていたように思います。

「息子ちゃ~ん、娘ちゃ~ん、
ごっはんだよ~!!」

みたいな(笑)

私の器の小ささにより、
怒ってしまう日もありましたがね、
そんな日もあります。

罪悪感でいっぱいになることもありますが、
楽しい時間も同等にあるはずです。

ついつい良くない方に目が行きがちですが、
同等に、いやそれ以上に良いことがあるんです。

良くないことというのは、
たった一つで、
良いことの10倍の強い印象を持っている厄介なもので、

良いことというのは、
例えば10個あっても、
良くないことのたった1つよりも気づきにくい繊細なものなんですよね。

たった一つの良くないことに頭をに煮やすほど、
子どもに真剣に向き合っているとも言える

と、

偏食改善の数年前を振り返って思う私。

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