理解すべきは、それ自体よりも、それを頑張っている人

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こんにちは、年少さんと年中さんの1男1女のワーママ heaco です。

前回に関連して、
靴下を履くのが好きではないであろう年中息子のはなし。

保育園では、
靴下とシューズを履いて過ごします。

靴下が好きではないであろう息子は、
なるべく裸足でいたいのか、
保育園の自分のクラスに到着してから靴下、シューズを履きます。

家で靴下を履いての登園を嫌がるので、
最終的に履いてくれるならと思い、
そういう流れになったのですが、
今後のことを考え、
その習慣化を改善しています。

「靴下を履いて登園すること」を本人に促しますが、
もちろん拒否。
「履かない」と言わんばかりに靴下を投げます。

3日ほどはそれの繰り返しで、
4日目くらいから履かせます。

息子の場合、
完全拒否という感じではないため、
嫌がるけれど、
履かせれば履くという感じ。
スムーズに履かせられたわけではないけれど。

靴下を履いて登園した初日は、
靴下を履いたことがイヤだったのかどうか、
ハッキリとしたことはわかりませんが、
相当のテンションダウン。

5日目(靴下を履かせる2回目)。
拒否するも履く。

6日目(靴下を履かせる3回目)。
テレビを見ながら朝ごはんを食べているところに、
シレっと履かせてみると、
拒否なしですんなり履く。

おぉ~!!
これは大きく進歩しました!!

これを何日か続けて、
次は自分で履くという段階に持っていきたいです!

感覚過敏、聴覚過敏というのを聞いたことがありますか?

自閉スペクトラム症と診断される子に見られることがよくあるのですが、
(自閉スペクトラム症に限ったことではないですが)
多くの人にとって不快に感じないことが、
とても不快に感じてしまうというもの。

普通にさわっているのに、
ものすごくくすぐったく感じたり、
普通と言われる音量がものすごく大音量に聞こえてしまうとか、
そういうかんじです。

息子の場合、
聴覚過敏については今のところなさそうですが、
感覚過敏に関しては少々見られるところがあります。

多くはやはり衣類に関することで、
靴下はそのひとつ。
他は、上着(ジャンバー)を着たがらなかったり、
ダボダボのズボンを嫌ったりという感じでしょうか。

なので、
寒くてもジャンバーを着たがりません。
特にゴワゴワした大きなジャンバーは嫌がります。
がんばって裏起毛フリースパーカーです。

足元がバサバサするのがイヤなのか、
ダボダボ系のズボンも嫌がります。
なので、
スキニータイプのパンツしか履きません。

私が見る感じでは、
感覚過敏というよりか、
体を動かしにく衣類が嫌いなようにも思います。

感覚過敏に関して言うと、
「触られるのがイヤ」ということもあるようで、
内容は様々です。

療育施設で相談をした際、
感覚過敏なところもあるのかもしれないという話をしました。

どこからが「過敏」になるかという境界線はもちろんハッキリありません。

誰にでも不快に感じるポイントはあって、
誰かにとっては全く気にならないことが、
とある誰かにとってはとても不快。
不快ポイントは人それぞれ。

私は、息子とは真逆で、
裸足で過ごせるけれど、
「裸足で靴を履く」のがすごく嫌いです。

洗濯物を干したり、
家の周りをちょっと歩く程度にサンダルを履くのはいいのですが、
お出かけというレベルになるとサンダルですら裸足で履けないのです。
だからお出かけ用のサンダルやミュールって買ったことがないんですよね。

某俳優さん(石田純一ではない)は、
靴下を履くのが大嫌いなようで、
学校から帰ったら玄関で靴下を脱いでいたとか。
その俳優さん曰く、
靴下を履かなければいけなかった学校にいる時間は苦痛だったと。

息子も、
早いときは帰りの車の中で靴下を脱いでしまうことがあるので、
その俳優さんのように、
「靴下を履く」のが不快なんでしょう。

音に関して言うと、
私は雷の音がすごく嫌いでした。

それは雷への恐怖心からくるものであるので、
聴覚過敏とはちょっと違うかもしれないのですが。

今は平気ですが、
子どもの頃はとにかく雷が恐くてたまらなかったです。
なので、
雷に似たような音も大嫌いで、
打ち上げ花火の音がすごく嫌いでした。
だから花火大会が恐かったんです。

雷ではないのにこわい。

打ち上げ花火のドスンとした大きなあの音が、
心臓に響くようで、
打ち上げ音がするたびにドキドキしたんです。
今は平気ですが、
それでもすごく大きな花火の大きな音は心臓に響く感じで、
未だに好きではないです。

他にも、
あまり遭遇することはないけれど、
氷を素手で触る感じが嫌いだとか、
ちょいちょい不快ポイントはあるんです。

誰しも不快ポイントはあるんです。

大体数の人にとって不快に感じないことが、
少数派の人にとってはすごく深いなことなのはよくあること。

理解しがたいポイントもありますが、
理解しがたいことこそ、
そのポイントが理解できなくとも、
受け入れる姿勢は大いに必要かなと。

ポイントを理解するというよりか、
そういった不快ポイントを持っている人、
その不快感を耐えている人を理解する必要は大いにあるかなと。

なんでできないの?
別になんでもないじゃん!

そうじゃないんですよね。

息子の「靴下を履く」ことは、
大したことではないように思えることなのですが、
当人にとってはとても大変なことでもあるんですよね。

それを毎日、園にいるときはがんばっているんですよね。
すごいことだと思います。

私は息子と真逆なので、
毎日裸足でシューズを履いて過ごすというのを想像すると
なかなかに大変で、耐えられないなと思います。

私が今それを想像して苦痛にしか感じないことを、
5歳の息子は頑張っているんですよね。
いやぁ、すごい!

自閉スペクトラム症と診断される人は、
何かと気になるポイントが多くて、
自分なりにそのポイントと上手に付き合っていく必要があって、
たくさんの努力が要るんですよね。

上手に付き合う術が何なのか、
自分で考えたり、探ったり、作ったり。

すでにたくさんたくさん頑張っている息子。

そのサポートをもっともっとしていきたい。

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