こんにちは、年少さんと年中さんの1男1女のワーママ heaco です。
夫と話していて思ったこと。
私も夫も実家はあれど、幼少期に過ごした家というのは別にありました。
(ともに、今の家から近い)
私が幼少期に過ごした家は今は取り壊され、土地は全く別の人のものになっています。
夫が幼少期に過ごした家は今もありますが、全く別の人が住んでいます。
夫は、
「いつか自分が幼少期に住んでいた家を買い戻し住みたい」
という思いがあり、今も心のどこかにあるのだろうと思います。
私も同様の気持ちがあり、
家自体がないので無理な話ですが、
未だに幼少期に過ごした家への思いというのは消えず、
家が残っていれば、夫と同じ気持ちになっていたし、
妄想の話になるけれど、
タイムマシンがあったら、
当時の家に行きたいという思いで未だにいっぱいです。
少し前に、
夫が幼少期に過ごした家の前を通り、
家を見て思ったそうです。
「家を取り戻したいという思いは捨てたほうがいいのかな」と。
なぜ思ったか。
そこにはいろんな思いがあって、
全部を言葉で表現するのは難しいし、
私も事細かに聞いてはいなし、
夫も話していないので、
具体的なことはわかりませんが、
「今住んでいる人がいるわけであって、
その人たちに対して失礼なのかもしれない」
ということらしいです。
それは私も同じなんですよね。
そういう話しから思ったこと。
それは人それぞれだとは思うんですが、
子どもの頃の思い出を思い返すと、
ほとんどが未就学児~小学校低学年頃の幼少期
なんですよね。
なんというか、
その頃の時期が1番家族としての思い出が多いというか。
実際そうなんですよね。
それ以降は、友達とか家族以外との思い出が増えていくので、
家族と何したというのは、やっぱり幼少期が1番多くて、1番印象深い。
だからね、
子どもたちが将来思い出として残っていく今の時期を大事にしたいし、
現にすごく大事であって、
今のこの瞬間が今後にすごく残っていくんだよ
と。
良い思い出も苦い思い出も。
大きなことも些細なことも。
なんというか、こういう話をして同時に思ったのが、
「ないものねだり」
というのもあるかなと。
互いに、幼少期の頃の家は今自身の手元にはないからこそ、
余計に思いが大きくなってしまうというか。
目の前の幸せや贅沢が当たり前で見えなくなり、
手元からなくなった途端に、
それらの重要さに気づく
みたいな。
子どもの頃から家には憧れがあって、
キレイで大きくてオシャレな家が将来欲しいと思っていました。
当時の家はそこまで大きくなくて、
まあ古びていたのもあるし、
私が住み始めたころには既に築10年ほど経っていて、
私が物心つくころには、その当時の斬新なデザインが流行っていて・・・
という感じで、
新しいものに憧れがありました。
今の実家には高校生の頃に越してきたのですが、
「やっと新しい憧れの家!」という感覚でした。
でも前の家への愛着はしっかりあったので、
自分が結婚して家が必要になったら、また住もうなんて思ったこともありました。
でもこれって、新しい家に越してきたからこそ思うことでもあるんですよね。
ずっと前の家に住み続けていたら、
そういう思いは出てこないかったかもしれない。
ときどき夢に出てくる当時の家。
すごく懐かしくて、心が落ち着くというか。
家は大きくなかったけど、
住みやすくて、小さすぎず大きすぎず、丁度良かったのかも。
物に執着しがちと言えばしがち。
でも良く言えば、
物に愛着が湧きやすいということか。
私のお気に入りの絵本もコレに似た話。
〈過去記事〉絵本がおしえてくれたこと
幼少期の思い出や物ってけっこう大事。
子どもたちの大事なことや物も、
幼児期である「今」が1番思い出に残るときなのかもしれない
と、
夫と話していて感じたこと。