退屈しのぎを考えることも良い勉強

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こんにちは、年少さんと年中さんの1男1女のワーママ heaco です。

この前の日曜日のはなし。

保育園稼働していない日祝は、基本的には昼過ぎまでの短時間勤務。
夫も日祝は基本仕事なため、
子どもたちは、祖父母(私の両親)と過ごします。

私の帰宅時間までは外出することなく、家で過ごすのが定番。
どこかへお出かけとなれば、
私が帰宅してからというのも定番になっています。

家では、
DVD(動画)見たり、おもちゃで遊んだり。
家遊びに飽きたら、
庭で自転車乗ったり、シャボン玉をしたり、庭いじりしたり。

今となっては就寝時間まで昼寝はほぼしません。

そんな感じで、
休日は家と庭を往復しながら遊びます。

有り余るほどの体力の子どもたちは、
大人のように、ゆったりまったり時間を過ごすということはなく、
常に何かしらで遊び、
何かしらのことをしようとします。

なので、
丸一日 家で過ごすことに限界がやってくるのです。

自分の思いつく限りのことは一通りした。
次は何して遊ぼうか。
同じことをするのは飽きる。
今日まだしていないことをしたい。

となると、
「外出」
しかなくなるわけです。

今の子どもたちの外出先と言えば、
公園
です。

我が家が行く公園は何か所か候補があり、
その日の気分で、
大人が見守りしやすいところをチョイスして行きます。

しかし、
秋めいてきて、公園遊びができるようになってきたものの、
日が高い時間はまだ暑いし、
何よりも、
疲れる。

毎度の休日に行っていた公園ですが、
先週の日曜日はややお疲れモードだったので、
「公園に行きたい」
と言われたのですが、
行かず。

「今日は行けれない」ということを伝えると、
午前中にもしたであろう外遊びを再びやり始める息子。

なんだかんだで長らく遊び、
そろそろお風呂、夕飯時かなと思われた頃、

「どこか行きたい!」

という息子。
(娘はたまたま昼寝、いや夕寝)

まだ明るい夕方。
まだ遊びたい。
だけれど、家遊びはもう飽きた。
どこかに行くことで締めくくりたいであろう息子。

「どこに行きたいの?」と聞くと、
「どっか」とこたえる息子。

特定の場所はないけれど、
お出かけはしたい。

これから公園に行くには遅い時間帯であることもわかっていて、
これからどこかへ行くにふさわしい場所というのもわからなくて、
まだ遊びたい気持ちはあるけれど、
家遊びはもう限界で、
どこでもいいからお出かけしたい。

そんなところでしょう。

特にどこというのはないので、
あてもなくドライブに出かけました。

私にもありました。

1日家で過ごすことに限界を感じ、
どこでもいいから外出することで休日を締めくくりたいような気分になり、
「どこかへ行きたい」と言いました。

「どこに行きたいの?」と聞かれても、
そのどこかというのはなくて、
「どっか」と、
今の息子と同じ返答をしていました。

今の私同様に、その返答に当時の両親も頭をひねったと思います。

「どこかへ行きたい」という私に、
「時間が遅いから、今日はおしまい、また今度」と言われ、
丸一日を家で過ごし、
退屈で終わってしまう休日にモヤモヤしました。

そんな幼少期を思い出しながら運転する私。

途中、車で寝かかったので、
このまま帰宅しようかと思いましたが、
自宅近くになって目を覚まし「どこかに行きたい」と泣く息子。

「どこに行くの?」と聞くと、
絞り出した答えは「おかいもの」。

その答えに、
幼少期の私も同じこと言ったなぁと思い出しました。

スーパーのお買い物についていくのが好きでした。
私としてはプチエンターテイメント。
今のスーパーは自動車タイプのカートがあったりで、
私の子ども時代に比べると、かなりエンターテインな要素があるんですよね。

そんなこともあり、
お買い物についていくのが好きな息子。

しかし、車から降りないだろうと思いマスクを持参していなかったので、
そこはしっかりなだめて、
我が家の定番ドライブ、新幹線を見に行くことで落ち着き、
2時間弱のドライブで休日を締めくくって満足した息子。

常に子どものためにエンターテインメントを用意する必要はなく、
退屈で何をしようかと頭をひねるのも良い勉強。

退屈の中で何をしようか見つける作業はけっこう大変で、
思うようにいかなかったときのモヤモヤというのは心地の悪いもの。
だけれど、それも勉強かな。

今日も昼過ぎまで仕事です。

それまできっと家遊びをたくさんするでしょう。
午後からはどうするか。

今日は公園に行ってみようかな、どうしようかな。

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