こんにちは、年中さんと年長さんの1男1女のワーママ heaco です。
言葉の発達がゆっくりなことをきっかけに療育を始めた息子。
来年度に小学校就学するため、
療育施設を始め、保育園、就学先の小学校と教育相談をしています。
年に何度か、私から先生にお願いをして個人面談をしております。
すべては小学校就学を見据えてのことであり、
それがいよいよ間近になってきました。
主には、
通常クラスと支援クラスのどちらでスタートするのが望ましいか
という話。
心理専門クリニックで年に1度、発達検査を行っております。
田中ビネーという、発達検査ではよく知られている検査方式です。
実を言うと、
IQ数値結果などからすると支援クラスが望ましい数値です。
しかし、数字がすべてとも言い切れないのが、発達の難しいところ。
しかししかし、やはり数値はひとつの目安になるわけです。
私個人的には、
席を先生の目の前にしたりなど、
通常クラス内で出来る限りの支援が必要ではあるものの、
通常クラスでもなんとかやっていけるのではないか
という見解を持っています。
もちろん、この見解に至る私の気持ちとしては、
できるのであれば通常クラスで頑張ってほしい
という気持ちがあるためとも言えます。
しかし、
心理専門クリニック、療育施設、保育園との教育相談では、
支援クラスが望ましいという見解。
これは私の想定内のことであり、
そのほうが今の息子にとって良いかもしれないとも思っていること。
親と先生の間で違う見解。
これは出てきても仕方がないのかなと。
まず親は、
家での姿しか見ることができません。
要は、集団の中での様子を知ることはあまりないということ。
先生たちはその逆です。
集団の中での姿くらいしか見ることができません。
「学校」という集団生活を送る上では、
やはり先生たちの意見、見解というのが私たち親よりも望ましい見解を持っていると思うし、
特に、発達に関する専門知識をきちんと持っている療育施設の先生たちに見解というのが特に重要視すべきと思います。
もうひとつ。
子ども自身が大人に取る対応が人によって違うということ。
やっぱりなんだかんだ親には甘えてしまうというのがあり、
親に見せる姿は親にしかわからないし、先生にはわからないところ。
先生に対する姿も親はなかなか知るのが難しいと思います。
どっちにしろ、
親が言って効くこともあれば、先生のほうが効くこともある
といったのも事実だったりするわけで難しいです。
そして最終的には、
親は自分の子どものことを過大評価するところがある
ということでしょうか。
私にとって、これが教育相談をしていて1番メンタルにくることなんです。
個別支援が必要なことは私もよくわかっており、
しかし、年齢相応に理解できていることも多々あり、
もしかしたら、年齢相応以上にできていることもあるのです。
だからこそ、通常クラスでもやっていけるのではと思うのですが、
そうは言っても、発達検査での結果やなどから、
先生たちの見解などは、私が思うほどの評価ではないようです。
実年齢以上に優れているところもあるのですが、
凸凹が大きいからこそ支援が必要なのだろうなという理解も私はしているのですが、
先生たちの見解と私との見解のギャップに落ち込むのです。
今、とある発達の専門書を読んでいます。
そこには、
「親は自分の子どもを過大評価しがち」
と書かれています。
ここで言いたいことは、
過大評価するなということではなく、
過大評価する=親バカ目線を持つことで、
専門医たちのアドバイスを無視するな
ということが言いたいのだと思います。
私個人的に、
自分の子どもを過大評価することは良いこと
だと思っています。
自分の子どもを親が過大評価しなくて、誰がするの?
と思っています。
ただ過大評価という言葉に語弊があるんですよね。
もっと正しく言えば、
今よく言われる言葉で言えば、
自己肯定感を上げるような評価
と言ったほうがいいんでしょうか・・・。
なんでも自分の子どもが正しいという親バカ的評価ではなく、
自己肯定感を上げるような評価
親バカも、良く言えば
「どんなときでも味方になる」
という面もあって悪くはない気もするし、
親バカ目線も必要かなと思ったり。
教育相談をするたびメンタルがやられる理由がやっとわかったような気がします。
私と先生の間での見解のギャップには、
私の息子に対する過大評価もあったのだなと。
専門書内で「親は子供を過大評価しがち」という一文を見たときにさらに撃沈し、
数日、この一文のことを考えていたのですが、
決して過大評価が悪いと言っているのではなく、
他者の意見も真摯に受け止めなさいと言っているのだろうなと思いました。
1番してはいけないのは過小評価です。
日本人であるあるな「謙遜」という文化。
自分の子どもを悪く言って、他人の子ども褒める。
これは「謙遜する」という日本独特の文化であり美徳のようなもの。
決して、自分の子どもを悪いとは思ってはいないのだけれど、
他人には悪く言われたくない、でも自分は悪く言っちゃう。
「謙遜」という文化がない海外の人からすると、
日本人のこういうところがなかなか理解できないところ。
謙遜文化がない海外の人は、
自分の子どもの良いところを言い合うのだとか。
謙遜文化は悪くはない。
けれど、謙遜が理解できない幼児期などには、
なかなかショックの大きいものだったりするよなあ。
文化まで話を持ち出してしまうと、
なかなか言いたいことがまとまらなくなるのだけれど、
親は自分の子どもを過大評価しがちだけれど、親がしなくて誰がする?って話で、
子どもが一番認めてもらいたい相手とは親であり、
それを考えると、
親が自分の子どもを過大評価するのは大事なことだよなぁと。
しかし、きちんと他者の見解も受け止めることも大事だよなあと。
教育相談をするたびに疲れる理由にやっと気づいた今日この頃。