こんにちは、年子の1男1女を育てるワーママ heaco です。
もうすぐ4歳になる息子は、言葉の発達がゆっくりで全体的に幼い傾向にあり、心理専門の発達検査を受けたところ、
自閉スペクトラム症・知的障害(軽度)
と診断されました。
療育が必要ということで、先月より週1で療育をスタートし、療育施設との相性が良く、療育施設を見ると(保育園の通園ルートの途中にある)、
「ここに行く!」
と指差しをしたりします。
実を言うと、この診断名を受けたことは意外でした。
息子に対して育てにくさを感じたことはあまりなく、困ることがあっても、子どもはこんなもんでしょっていうくらい。
特に、自閉スペクトラム症については、たくさん知識があるわけではないけれど、育児番組である程度の特徴などを知っていましたが、合致する点がそんなにないくらい。
診断を受けた後に、しっかり調べると合致することが何点か出てきましたが、それも微妙なところ。
息子に対して初めて少しだけ気になったきっかけは1歳半検診のときでした。
やや引っ掛かった項目は、やはり言葉の部分。
「ワンワン、どれ?」
という問いかけに答えられない。
宇宙語が多く、日本語は確かに少なく、二語文などが出るのも遅め。
息子が1歳になるころに娘を妊娠し、つわりでへたり、出産前には切迫早産で2か月入院しており、成長の大事な時期に息子とのコミュニケーションがあまり持てず、言葉をおしえてこなかったことに罪悪感がありました。
健診では、
「この時期は個人差もあることだから、もう少し様子をみましょう」
ということになりました。
これが今では甘かったなと思いました。
3歳誕生日
個人差
みんなそれぞれに
個性があって、
得意不得意があって、
合う合わないがある。
育児書でも、
1歳くらいからの身体的発達・精神的発達には個人差が出てくるから、過剰に気にしないこと
というの目にしていました。
娘の妊娠・出産が重なったこともあり、あまり気にしていなかったのですが、
「個人差」と「様子を見ましょう」というのは、ある意味危険な表現だなと、今になって感じます。
もちろん、ただの考えすぎとということもありますが、ただの考えすぎならそれでOK。
むしろ、「個人差があるから」ということに焦点を置いてしまうと、大事なことを見過ごす危険性もあるなと思いました。
そもそも、心理専門発達の検査を受診するに至った発端は、
呼びかけに返事をしないことを気にした旦那が保育園の先生に相談したこと
です。
子どもとの接触時間が短く、子どもの反応をたくさん見ているわけではない旦那。
子どもとの時間が多く、子どもの反応をたくさん見ている私。
呼びかけにあまり反応しないだけで、反応がないわけではない。
返事をするときはする。
全然できないわけではないことを知っている私は、あまり気にしていなかったこと。
でも、逆にこれが私の気づくアンテナを鈍らせていたのかなと今になって思う。
ある意味、旦那の第三者的目線で気づいたこと。
確かに、娘のほうが言葉のコミュニケーションはやりやすいと感じていました。
でもこれも個人差と思っていた。
保育園の先生に保健福祉センターでの相談や療育を勧められた当初、
正直、良い気分はしませんでした。
できなわいけではないし、育てにくさもさほど感じていない。
なのになんで療育を勧められるのか?
なんでそんなにできないことに着目するのか。
相談したのが私ではなく旦那だったのもあり、私は相談の必要性を感じていなかったこともありますが、
先生の集団生活でみる息子の行動だったり、他の子との比較。
旦那も先生も、ある意味、冷静に息子を見ていた。
私は近いからこそ見えていなかった。
そう、
できないわけではない。
これからできるようになる。
そう、できるんです。
でも、遅れている。
できる・できないというより、遅れていることに注意する必要がある。
この子には、この子なりの手助けが必要。
息子に対して、いろんなことを認めたいと思っていた私。
できることもできないことも。
好きなことも苦手なことも。
気分の良いときも、そうでないときも。
だから、できていないことも、
個人差があるから
できないわけじゃないから
と思っていたけど、
できていない・できない息子を認めて受けいれているつもりで受け入れていなかったのではと、今になって思います。
療育をすることに対しても、どこかで変な意地を張っていたのではと思います。
できないことよりも、できていることに注目して褒めてあげよう!
できていなくてもできるようになる!
個人差があることだから気にしすぎないように!
全部子育てにおいて大事なポイント。
でも、私はどこか誤解していたのか。
個人差
という単語は、ときには大事なことを見逃しかねない要注意単語で、
様子を見ましょう
というのも、ハッキリとした診断名がないぶん、そうではない可能性を持たせてくれる変な安心材料だけれど、ある意味「一定期間の放置」のようなものでもあるなと感じてしまった・・・(汗)
もちろん、注意して様子を見るので、完全な放置ではないけれど。
産まれてから数年の子どもの成長は、身体的にも精神的にもとても大事なとき。
決して遅くはない療育スタートだけど、振り返ると反省点がたくさん。
気にしすぎは良くないけど、「個人差」というのも要注意。
あのときもっと早くこうしておけばよかったと後悔しないように。
できることはどんどんやればいい。
何もやらずして、変な意地張ってやらずして後悔なんてしたくない。
何でもバランスが大事。
難しいけど、子どもと一緒に家族で成長していきたいですね。