両親の陰ながらの努力を思い出したこと

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こんにちは、年少さんと年中さんの1男1女のワーママ heaco です。

通信教材が日常生活に定着しつつある我が家。
子どもの学習グッズが部屋に広がるのはまだ数年先と思っていましたが、
その日は意外に早くやってきました。

学習グッズの整理整頓を考えていて、
何気なく自分の子ども時代を思い出して、
今になってやっと気づいた親の陰ながらの努力のはなし。

私の両親は夫婦共働きでした。

小学校に通い出してからは、

近くに住む祖父母(父方)の家に直帰し、
仕事が終わった母が祖父母宅に寄り、
自宅に帰る
という流れでした。

なので、
祖父母の家で制服から私服に着替え、
テレビを見たり、
おやつを食べたり、
宿題をしたり、
図書室でかりた本を読んだり、
庭で遊んだりと、
母が迎えに来るまでそんな感じで祖父母宅で過ごしていました。

一見よくある何でもない過ごし方ですが、
この何でもない風に見える陰には、
親の努力がいっぱい詰まっていたんだなと、
今やっと、自分の子どもたちを育てていて気づきました。

気づいていたこともありますが、
今になってやっとそれを理解したというか。

まずは着替え。

大きなカゴにドサッと何着も服が入っていました。
帰宅してから、そのかごの中から自分で服を選び着替えました。
常に何着もありました。
「服がない」なんてことはありませんでした。

これ、
毎日とは言わないまでも、
週に何度も服を補充していないと、
常に服がある状態にはなりません

何をきっかけに服が汚れるかわからなことを想定して、
多めに服はあったと思われます。

次、おやつ。

おやつのカゴがあったり、
祖母が出してくれたりでしたが、
おやつのほとんどは母が準備していたもの。

というのも、
田舎のため、
駄菓子屋や商店はちょこちょこあったものの、
スーパーマーケット的なお店は1番近くても2、3㎞先で、
運転免許のない祖母が買い物に行くのは大変。
また、祖父は免許は持っていたものの、
祖父が1人で買い物することはなく(というかできない)、
2人で買い物に頻繁に出て行くことは大変だったので、
仕事帰りに買い物に寄っていた母が祖母に預けていたと思われる。

なので、
おやつを食べようというとき、祖母がよく言っていました。

「お母さんがおやつをいっぱい買ってくれているよ」と。

おやつは、ときどきなくなっていたことがあり、
そんなときは、「こんなものしかない」と言いながら、
祖母が買った ザ おばあちゃん菓子 を食べていました(笑)
祖母は、子供が好むお菓子がどんなものかが全くわからないと言っていました。

最後、毎日のお迎え。

保育園を卒園したことで終了する保育園へのお迎え。
しかし、祖父母宅に直帰していた私たち姉妹のお迎えを祖父母宅に毎日していた母
自宅までの1本道の途中に祖父母宅があったので、
わざわざ祖父母宅に行くという感じではなかったですが、
祖父母宅に寄り、荷物を積み、祖父母宅に預けられるものは預けるという感じ。

そして、
父が帰宅してからは、
父が祖父母の様子を見に行くことが週に何度かあったのですが、
ときどき一緒に行っていましたが、
おそらくそのときに、預け忘れたものや、預けられるものを持って行っていたような気がします。

家事がそんなに好きではなかった母は、
免許がなく、頻繁にスーパーに買い物に行けない祖母のことを考え、
おやつプラスお惣菜をよく渡していたのを覚えています。

父と祖父母宅に一緒に行くときなど、
「これを渡しておいて」と頼まれていたことを思い出しました。

今の私は、ここまでではないけれど、
似たようなことを自分の子どもたちにしていますが、
毎度の服やおやつの補充など、
そのときに困らないようにするための気遣いって地味に大変なんですよね。

3歳年上の姉がおり、
姉妹2人分です。

姉が中学校入学を機に、
小学4年生の2学期頃くらいから祖父母宅ではなく、
自宅に直帰し、
いわゆる鍵っ子になった私。

姉の小学校入学から卒業までの約6年間
これをやった両親、特に母。

何気なく、不自由することなく過ごせたのはそんな親の陰ながらの努力のおかげ

祖父母宅に直帰していた私と姉は、
登校班と下校班が違っていたので(通学路が違う)、
なぜ私たち姉妹だけ、登下校で班が違うのか友達に不思議がられましたが、
当時としては夫婦共働きというのはすごく珍しかったんですよね。

夫婦共働きが当たり前の環境だった私からすると、
家に帰るとお母さんがいるという光景のほうが馴染みがなく驚きで、
何度か母に話したことがあります。

「学校から帰ったら、家にお母さんがいるんだって!」

夫婦共働きが珍しい時代によくやってきたなと、
両親に感心します。

世代交代をして、今は私の番。

当時の両親の陰ながらの努力に気づき、
育児をがんばる糧になりました。

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