いつまでも変わらない場所を守りたい

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こんにちは、年少さんと年中さんの1男1女のワーママ heaco です。

私が物心つく前からあったであろう建物がついに取り壊されました。

保育園のすぐ隣のその建物は、
私が保育園児だった頃はスーパーで、
保育園の帰りに寄ることがあって、
他のお友達なんかも度々見かけることがありました。

新しいスーパーがいろいろ出来始め、
卒園してからはそのスーパーに行くことがほとんどなくなり、
気づけば、そのスーパーは閉店していました。

その後、空き店舗状態が続いたり、
違うお店が入ったり出たり。
長いこと某お店が経営していましたが、数カ月前から取り壊しの工事が始まり、
ついに更地になりました。

ポカンとできた広い更地。
私の心にもポカンと更地ができたような感覚。

自分が産まれる前からあったであろう建物がなくなった寂しさ。

育児を始めてからは、
特に、子どもたちが幼児期に入ってからは、
自身の幼少期の頃を思い出し、
子どもたちが何を考え、どう感じているかを読み取ろうとすることが多く、
(前回記事 参照)
同時に自分の子どもの頃の思い出に浸ることが多く、
タイムマシンであの時代に行きたいなぁと非現実的なことを考える私。

ただただ、その頃の時代の風景とかを楽しみたい。

その頃が特別に楽しかったというわけではなく、
贅沢豪華な生活をしたわけでもなく、
むしろ、田舎でどちらかというと地味に過ごしてきただけなのですが、
その平凡な幸せこそが最大の幸せであって、
そういう日常を過ごせたことに改めて感謝しかなく、
それは今も変わらないのですが、
あの頃に戻ってみたいなと。

今は亡き祖父母や、若かりし両親の姿、
今はなき幼少期に過ごした自宅や祖父母宅。

そんな当時の懐かしい風景を眺めて、
当時の空気を思いっきり吸いたいなぁと。

そんな思いが強いからなのか、
度々、幼少期に過ごした自宅が夢に出てくるようになりました。

叔父名義だったその家に、
いろんな事情があって16年間住みました。
私の子ども時代の思い出がすべて詰まったようなもの。

住んでいた頃は、
もっと大きくておしゃれで新しいお家
にすごく憧れがありましたが、
思い返すと、
確かにちょっと手狭ではあったけど、
申し分ない広さと間取りで、
住みやすくてすごく愛着が湧いていました。

500mも離れていない近くに引っ越した後も、
鍵は持っていたので(未だに持っている)、
度々その家に訪れていました。

自分が大人になったら、
リフォームしてもう一度この家に住みたい。

そんなふうに考えることもありました。

しかし、空き家の管理というのは大変なもので、
父が仕事の合間を見てしていたのですが、
体調を崩したのをきっかけに、
家は取り壊され、土地も売却。

度々、夢に出てくる前の家は今でもあるかのように現実味があって、
この前の夢の中では、
大人になった今、名義変更をしようなど、
夢の中で超現実的なことを考えていた私。

夢から覚めると、
「ああ、そうか。あの家はもうないんだ。」
朝から気落ちしました。

家がなくなり、土地を売却する話が出たときに、
自分が大人だったら・・・。
そんなことを考えました。
未成年だった当時の私には、
今ほど、自分のやりたいように動くことができなかったなぁと。

そんなことを、更地になってしまったスーパー跡地を見て思う私でした。

人は懐かしさを感じることで癒しを得ることができる

というのを聞いたことがあります。

今、子どもたちが幼児期だからかもしれないけれど、
幼児期の思い出がすごく癒しになっている。

子どもたちが20年30年後に、
今の私と同じように、
今のこの風景や思い出に浸り癒されるときが来るのかもしれないなぁと。

残念ながら、
私が幼少期に住んでいた家や、
幼少期に過ごした祖父母宅は今はなく、
いわゆる子どもの頃の思い出が詰まった変わらない家というのが私にはありません。
私にとってはそれがとてもとても残念でならないのですが、
私が子どもたちにできることは、
今のこの家をずっと守ることなのかなと。

変わっていくことは必要なことなんだけれど、
いつまでも変わらない場所というのも守りたい。

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