「~しなければ」の呪縛を解く方法とは?

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こんにちは、年少さんと年中さんの1男1女のワーママ heaco です。

前回記事の
「~しなければ」の呪縛を解く
で考えたこと。

ある程度の身の回りのことが自分一人でできるようになっている幼児期は、
手取り足取り、身の回りのお世話をしていた乳児期に比べ楽になった部分もありますが、

感情のコントロールや他社との関り、社会マナー、規律等々、
経験を通して学んだり、おしえてもらうことで学んだり、
今はそういう時期に入っておりまして、

これがまあ、なかなか骨折る作業で、そして難しい!!

言葉の引き出しが少ない子どもに、わかるようにおしえるのは難しく、
それゆえ、
一度で理解できることではないし、
何度も繰り返し繰り返していく必要があるのですが、
これが大変、大変。

本人のためになることと言えば、
やっぱり実体験が一番なわけですが、
それは何も特別なことではなく、
日常生活の中での実体験というもので、
文章で表現するには難しいのですが、
要は、
百聞は一見に如かず
みたいなもんで、
百おしえるよりも、一回やらせてみる
みたいな感じというか。
それも段階を踏んで。

この段階を踏むというのも具合がまた難しいんです。

人間は欲深い生き物で、
早く良い結果が欲しいんです。
だから、いきなり難しいことに挑戦しようとするんです。
しかし、
確実に何かを得るには、
少しずつ段階を踏んでいくというのが大事なんですよね。

大人はつい自分目線でそれを子どもに要求してしまう。
しかしそれは子どもにとっては難しく、
またそれは個々人によって段階は様々なわけです。

きちんと個人の性格や発達具合にあった段階を踏むべきなんですよね。

実際に育児をしてみて、つくづく思うこと、痛感することは、
「コレ」というものはあるようでない
というか。

育児書等にはいろいろ書いてありますが、
語弊があるかもしれないけれど、
それは決して正解とは言い難いというか。

正解を求めて育児書等を手に取るわけですが、
そこには正解なんてないんですよね。

じゃあ、育児書って何なのよって感じですが、
参考書
なんですよね。

私は、
育児書=育児法の正解が書いてある本
と思っていましたが、
そうではなくて、
育児書=育児法を参考にする
なんですよね、きっと。

だって、そこに書いてある内容がすべて上手くいく方法ではないから。

そりゃあ、同じ人間を育てるわけですが、
個性は全く違うから、
合う合わないがあって当然で、
育児書通りのことをやってみて上手くいかないことはたくさんあるし、
その逆もある。

同じ親から産まれ、
同じ釜の飯を食らい、
同じ家庭環境で育っているのに、
全く違う個性を見せる兄弟姉妹。

それが本当にいい例です。

我が家は一男一女の兄妹ですが、
それぞれ個性は全く違うので、
対応方法だって違う。

とまあ、
こんなことをあれこれ考えすぎて、
育児を始め、「~しなければ」という状況になりがちな私は疲れやすく、
それが逆に育児に良い影響を与えていないように思い、
じゃあ、何が必要かと考えると、

「~しなければ」の呪縛を解く必要があって、
それには、

できない自分を許して、
アレコレ考えるのを辞めて、
もっといろいろ引き算をして、
人に頼ることの罪悪感を捨てる必要があるのかなと。

これもなかなかすぐにできることでもないんだよなあ。

アレコレ考えすぎるのが私だから。

人を変えるのは難しいけれど、
自分が変わるというのもなかなか難しい。

なんだか難しいことだらけですね。

いやぁ、育児って勉強になる。

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