大事だから叱る

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こんにちは、年長さんと小1の1男1女のワーママ heaco です。

年齢を重ねれば重ねるほど楽になると聞いていたし、思っていた育児。

もちろん、
楽になっていく面はあるのだけれど、
別の大変なことは出てくるわけで、
私個人的には、
0歳よりも1歳、1歳よりも2歳・・・
と、年齢を重ねれば重ねるほど育児が大変になっていっている気がします。

0歳児期。
完全母乳で育てた2人。
産まれてから約3ヶ月。
数時間おきの授乳は私にしかできず、
睡眠時間をまとめて取ることができなかった約3ヶ月でもあり、
本当に体力的にしんどかったです。

1歳児期。
行動範囲が広がり、
一瞬の目を離したすきに何が起こるかわからず、
自分の視界から消えることが怖くて目が離せず大変。
プラスで、身の回りのすべてのお世話。

2歳児。
もっともっと行動範囲が広がり、
より目を離せなくなり、
また、発達についても気になり始めるところ。

3歳児。
息子の場合、発達を指摘されたこともあり、
また、脳の成長が著しい子どもの時期だからこそできる発達のことなど、
そのときそのときに必要な教育、療育に奮闘。

4歳児以降。
この頃から本格的に出てくるであろう「しつけ」。
これには本当に頭を悩ませる。

正解がないから難しい。

育児本などを読み漁って、
余計にわからなくなる。

以前には、
「この育児本が良い」なんて記事を結構出していましたが、
(確かに良くて、たくさんの人に読んでほしいと思う気持ちは変わらないのですが)
まあ、読みすぎは禁物だなと。

1番難しいのはやっぱり、
「叱る」
ということ。

育児の大半を占めるかもしれない。
私の場合、育児の大変さのほとんどはこれにあるのだろうと最近になってやっと本当に気づいた感じがあります。

「叱ったあとの罪悪感」

特に息子。

「怒らない育児」というのを聞きますが、
怒る=叱るではないので、
決して「叱らない育児」ではなく、
「褒める育児」と言った方が正しいような気がするのだけれど、
一見すると、
どれも同じことを言っているように感じるので、語弊が生じる気がする。

日本語って難しいね。

息子の発達を指摘されて以降は、
それまで持っていた育児に対する考えがすごく変わったし、
1年ごとで、私の育児のやり方というのも変わった気がします。

過去の自分を思い出して感じる多くのことが、
「あのとき、あんなに怒る(叱る)必要がなかったのかも」
ということ。

とは言え、
危険なこと、悪いことは曖昧にはしたくない。

でも、

「子どもたちのため」と思いながらも、
本当に子どもたちのためになっているのかどうかがわからず、
叱り方に悩む日々。

ここ最近、
毎日何かしらで厳しく叱ることがあります。

その直前まで穏やかで平和だったのに、
ある出来事をきっかけにスイッチが入り叱責。

それは危険なことでもあり、悪いことでもあるから。

1回で理解できるわけではなく、
同じようなことは以前にも何度かあったわけで、
そもそも、
スイッチが入る前から注意はしていたのだけれど、
それも回数を重ね、
いよいよこれ以上は危険と判断したことによる厳しい叱責。

私の厳しい声色に瞬時に察する子ども。

だけれど、
そのときの子どもの表情が私の気持ちをえぐるんです。

ただただ叱責を無言で聞き、
反省もしているし、
叱られて怖いのだけれど、それに必死で耐えて、
悪くなった雰囲気にも必死で耐えて、
怖すぎて泣くこともできない感じもして。

そんな表情を見ていると、
私の叱り方についていろいろ考えてしまう。
これで良いのかと。

正解がないから難しい。

数年前にとある人に聞いたこと。

叱られて子どもはどんな気持ちかというと、
「当然傷ついている」と。

だけれど、
叱らないわけにはいかない。
叱ることは必要。

どうすれば良いか。

転んで怪我をして絆創膏を貼るように、
叱られて傷ついた心を、叱った後に十分にケアをすれば良い と。

そのケアとは何なんでしょう。

しっかり抱きしめるとかそういうことだろうか。

まあ、こっちも抱きしめずにはいられないというかなんというか。

先日、息子を厳しく叱責することがありました。

何度目かの注意の後、
とある一瞬の遊び感覚が危険なことにつながりそうだったので、
厳しく叱責。

そして、あの表情。

きっと息子は傷ついている。
「お母さん」と寂し気に言いながら私についてくる。
そんな息子の行動にも心をえぐられるのです。

息子にこんな表情をさせ、
こんな行動をさせてしまう私は正しいことができているのだろうか。
しかし、
悪い・危険をわからないまま大人になっていくことは決してさせられない。
だから今ここで厳しく叱ることは間違いではない。

しかし、息子の表情や行動に私の心も傷つく。

私自身もよくわからない気持ちで咄嗟に出た言葉。

「息子くんが大好きだから、大事だから怒っている(叱っている)んだ」と。

私も幼少期に何度か言われたことがあります。

何が原因だったかは全く覚えていませんが、
厳しく叱られることがたくさんありました。

今思い返して思い出したこと。

自分のした行動に厳しく叱られるのですが、
なぜここまで厳しく叱られるのか正直よくわからず、
だけれど、この叱られ様は、良くないことをしたというのもわかる。
しかし同時に出てくる感情は、
「今のお母さんはきっと虫の居所が悪い(当時、こんな表現はできませんが)」
「お母さんは私のことが嫌い」
ということ。

叱られる=嫌われる と思っていた私。

叱られているときって、
相手は怒っているし、雰囲気は悪いし、
それだけでもこわいのに、
叱られるたびに、お母さんに嫌われていくんじゃないかという恐怖みたいなものもありました。

叱られる=嫌いだから
褒められる=好きだから
みたいなものがある。

でも本当は違う。

叱られる=大事だから

だけれど、
幼少期の私には理解が難しい言葉。

叱られて泣きたいのはこっちなのに、
なぜか母の目が少し涙で潤んでいて、
「嫌いだから怒っているんじゃない!大事だから怒っている!!」
と言われたことを思い出しました。

そうか、
当時の母も今の私と同じだったんだろうし、
当時の私も今の息子と同じだったんだろうなと。

そんな説明を息子にしていると、
それまで何気なくテレビを見ていた娘が、
急に私と息子のところに来て泣きだしました。

察するのが上手い娘。

きっと何気なくじゃなく、
悪い雰囲気を打ち消すように無理してテレビを見ていたのだろうと思います。
私と息子のやり取りをちょっと離れたところで見聞きして、
何かを察して涙が出てきたのだろうなと思います。

娘が泣き出した理由。
娘本人はよくわからないと言っていましたが、
私にはなんとなくわかる。

決して嫌いなわけではないという安堵感から出る涙。

当時の私も、
「嫌いだから怒っているんじゃない」
「大事だから怒っている」
「大事に思っていないと怒らない」
「怒らない(叱らない)人は本当に大事だと思っていない」
いろいろ言われたけど、
全然理解できなかった。
だけれど、
嫌われていない、大事にされているとわかって安堵したところがあります。

なぜ「大事だから叱られるのか」
それがわかるのはもっともっと先。
今の子どもたちもそう。

今それを言ったところで理解できないけれど、
あと10年もすればわかってくるんじゃないかなと思う。

それで良い。

今わからなくてもわかる日が来る。

今の子どもたちにわかる言葉を投げかけることは必要だけれど、
何年か後にわかる言葉をかける必要もあるんだなと。

咄嗟に出た自分の言葉にいろいろ思った瞬間。

叱るのって難しい。

そういえば、
今日はドラえもんの誕生日らしいですね。

おめでとう

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