大人、特に「先生」に最も気づいてほしい子どもの発達の大事なこと

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こんにちは、年中さんと年長さんの1男1女のワーママ heaco です。

言葉の発達がゆっくりなことをきっかけに療育を始めた 現在年長さんの息子のことで抱く、
複雑な正直な感情の その3の話。

実年齢よりも精神年齢等が幼い傾向にある息子

しかし、
知能検査とかではなく、
親バカなのかもしれないけれど、
対面では、
精神年齢と同じ年齢の子たちと同じかというとそうでもなく、
年相応の部分もあれば、実年齢以上の部分もあるように感じるのです。

知能検査結果というのは、
大多数に対する平均的で客観的なもので、
参考にすべき内容のため、
人間が肌で感じるものとはちょっと異なるものであるのだろうと、
個人的に思います。

検査結果がすべてではないことは当然だし、
かと言って、
検査結果内容は事実であり、
直に肌で感じる内容も事実

それほどに「発達」というものは複雑で難しいものだなと、
つくづく感じます。

それがわかっていながらも、
「やっぱり検査結果などを重視する傾向にあるんだよなぁ」
と思います。

何が言いたいのかというと、

結局は、
・年相応にできているか
・年齢以上のことができているのか
ということをみているし、
そういうことを求めがちであるし、
そういうことに関して「褒める」傾向にあるんだよなぁ
と感じるのです。

発達専門クリニックで担当医と話しているとき。

今できていること、もう少しでできそうなこと、できるようになったこと、できないこと
の内容を話します。

「できないこと」に着目しがちな担当医。

まあ、そこが大事なんでしょうけど、
「できないこと」ばかりの話もアレなんで、
「できていること」の話をしました。

保育園での朝の準備のはなし。

年長さんに進級した日。

「ひとりでできるから、おかあさんは娘ちゃん(年中さん)と行って」
と言って、
ひとり自分のクラスへ向かった息子。

ひとりでどこまでできるのか、
小学校になれば、親がいない状態ですべて一人でしなければいけないわけで、
その練習とクセ付けをこの1年間でやる必要はあるので、
心配だったけれど、

「わかった、じゃあ、後で行くから先に行ってて」

と、息子一人を自分のクラスへ送り出しました。

娘の準備が終わり、
娘を先生に預け、息子のところへ向かいました。

ほぼすべてのことを、自分一人で行っていました。

それは今でも継続中で、
数カ月の1度くらい、
「今日は息子ちゃんと来て」
なんていう日もありますが、
ほぼ一人で自分のクラスへ向かい、
自分一人で朝の準備を済ませています。

ほとんどのお友達が、
親と一緒にやっている、
もしくは、
きょうだい の準備が終わって親が来るのを下駄箱で待って一緒に行ったりなどしている中で、

息子はたった一人で朝の準備を行っています。

おそらく、全くの1人で準備をしているのは息子だけ。

親バカなんでしょうけど、
実年齢よりも精神年齢の幼い息子が、
1人で毎日当たり前のように朝の準備を行っているのです。

これはスゴイことなんじゃないかと思っています。

「こんなことができています」と簡単に担当医に伝えると、

「まあ、毎日のことですからね、それはできると思いますよ」

あっさりスルー

出来て当然でしょという感じだし、
息子の年齢であれば、まあできるでしょ

そんな感じで、あっさりスルー。

そして、「できていないこと」へ話が戻る。

そんな感じ。

私は、褒めてもらえると思ったのですが、
あっさりスルーでポカンです。

まあ、クリニックで「褒めてもらう」ことを期待しているのがそもそも違うのかもしれないのだけれど。

4月の個人懇談や、
小学校就学前の懇談(私個人的に先生にお願い)など、
担任の先生から褒めてもらうことはあるのだけれど、

それでも着目しがちなのは、「まだできていないこと」。

これをいかにできるようにするかに力を入れていることはとてもよくわかるのですが、

もう少し「できるようになったこと」に着目して褒めてほしいなと思います。

年齢以上にできていることなどはよく褒められます。

それは嬉しいのですが、
特に着目してほしいのは、
年相応とか年齢以上とかそういうの抜きで「できるようになったこと」。

先生たちにとっては、
「やっとできるようになったこと」
「やっと追いついてくれたこと」
なのだろうけれど、
この「やっと」の中には本人のたくさんの努力が詰まっているのです。

「やっと」じゃなく「さらっと」やってのける子たちが多いのかもしれないし、
それが平均的な発達なのかもしれないけれど、
本人の努力に大人たちがもっと気づいてほしいんですよね。

頭ではわかっていることなんですが、
意外と気づいていないんですよね。

だから、あっさりスルーされるのでしょう。

まわりと比べるのではなく、
過去の自分と比べろ

なんて言うけれど、

結局はまわりと比べているんです。

過去の息子と比べると、ものすごい成長で、
1ヵ月前の息子と比べてみてもものすごい成長だし、
1週間前よりも成長しているし、
昨日よりも成長していることを感じる息子です。

なかなかそこに気づきにくい。

こんなことを言っている私自身も当初はなかなか気づけていなかったことで、
こういうことにも気づけるようにしてくれたのは誰でもない息子です。

そう考えると、
息子から教えられていることがたくさんあるなぁと、
しみじみするのです。

息子は私に、
それに気づける大人にしてくれた素晴らしい子だなと、
しみじみするのです。

たくさんの大人たちに、
特に、
「先生」という立場にある人は気づいてほしいと思うこと。

療育の先生たちはそこをよくわかっている方が多いのですが、

学校、保育園、幼稚園の先生を始め、
「先生」という肩書がつく方には特に理解してほしいと思うところ。

「できていること」「できるようになったこと」に着目していたのが、
息子の年少さんクラスのときの担任の先生。

今は、別の遠い違う県の姉妹園に異動になってしまったのですが・・・。

先生と会える最終日に、
その気持ちをずっと持った保育士さんでいてほしいというお手紙を最終日に渡したのは半年以上前のこと。

この先生には卒園式に1番出席して欲しかったので、とても残念です。

先生自身は、
「発達」についての専門知識はあまりないと話していましたが、
独自に本を読んだりして、息子のことを知ろうとしてくれていました。

こんな大人がもっともっと増えてほしいなと思います。

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