寂しいと感じるのは「ちょうど良い」かもしれない

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こんにちは、年少さんと年中さんの1男1女のワーママ heaco です。

数日前に、
保育園で初めて遠足があり、
きちんとお弁当箱に詰めた手作りお弁当を初めて食べた年中息子。

料理は嫌いじゃないけれど、
お弁当作りが好きじゃない私が頑張って作ったお弁当はほぼ空っぽでした。

今も自分用のお弁当は作っているものの、
人に見せられないほどの適当なものであり、
自分用と子ども用はやっぱり違う。

毎日作ることになるであろう、
ちょっと先のお弁当作り生活に今から不安になる私。

大変だろうなぁ・・・。
終わったときはすごく楽になるだろうなぁ。
だけれど、すごく寂しいんだろうなぁということも今から想像できてしまう私です。

子どもが自立をしていくと、
その分、手をかけることがなくなるので、
こちらとしてはすごく楽になるのですが、
同時に寂しさも感じる私。

1人でトイレができるようなって、
1日何回もしていたオムツ交換がなくなって、楽になって、
オムツがいらなくなって、
ドラッグストアのオムツコーナーに行かなくなったとき、
ふと、オムツコーナーを見たときに、
嬉しいことなんだけど、
子どもが少しずつ手を離れていくことを実感し、寂しさを感じてしまった・・・。

0歳から通う保育園。
入園当初は、年少さん以や年中さんクラスの子たちがものすごく大きく見えて、
壁に飾られた作品や所定の場所にかけられたお稽古カバンを見て、
自分の子がこんなことをするようになるのかということがすごく先に思えて、
想像ができなかったのに、
今その年齢になり、
6年間通うことになる保育園は長いと思っていたけど、
息子はあと1年で卒園、続いて娘も翌年に卒園。

年子の兄妹を育てる私は、
保育園にお世話になるのは7年間で、ある意味、最短期間。
年齢差があったり、子どもの数が多いと、その期間はもっと長くなるわけですが、
この長いような短いような絶妙な期間に寂しさを感じてしまうのだろうか。
嬉しいことなんだけど、
息子が年中クラスに進級したときから寂しさを感じる私。

それだけ、
今通う保育園が私にとってもすごく良い場所なんです。

言葉の発達がゆっくりで超マイペースな年中息子は、
昨春より、保育園系列の療育施設に通っています。

施設に通うのが大好きな息子。
今通う施設は、小学校3年生まで通えるとのこと。
それ以降は、別の支援施設に変わることが決まっています。
小学3年生はまだ先と思っていましたが、
これもきっとすぐに来てしまうんだろうと思います。

今通う療育施設は、
息子にとっても、私にとっても憩いの場所でもあります。
小学3年生ごろに息子がどんな感じに成長しているかは想像ができないのですが、
この憩いの場所を離れることになるのは、
息子にとってもすごく寂しいこと。
それを想像すると、今からすでに寂しい気持ちなるのです。

子どもが産まれる前の朝と言えば、
洗濯物を干して、
朝の情報番組を見ながら、ゆっくり自分のペースで朝ごはんを食べたり、身支度をしたりでした。

子どもが産まれてからは、
特に育休復帰をしてからは、
子どもの身支度や朝ごはん、
子どもの機嫌を損ねないようにサポートしながら、
自分の身支度等を済ませ、
毎日、保育園に送迎。

断然、今のほうがバタバタするし、疲れる。

だけれど、なんだろう。
ごくごくたま~に夫が保育園の送迎をするのですが、
自分が送迎をしなかったことになんだか寂しさを感じるように。

保育園に行くと、
クラス入り口の掲示板に、
「きょうのできごと」と保護者向けのお知らせが貼ってあり、
まあ、そのチェックも必要なんですが、
やっぱり気になるのが「きょうのできごと」です。

1日保育園でどんな活動をしたのかが気になるし、
壁に飾ってある作品も見たいし、
保育園の雰囲気をちょっと味わいたいというのが私にはあるんですよね。

疲れるし大変なのに、
それがなくなると寂しい

以前にもこのブログで書いたんですが、
「寂しい」と思えるのは上手くいっている証拠であり、
寂しいと思えるのがちょうど良いんだろうなあと思います。

今は目の前の子どもたちに必死な毎日で、
いろいろ余裕がないことは多々ありますが、
子どもの成長とともにこれも少しずつなくなっていくのだろうし、
ちょっとできた余裕の隙間がぽっかり穴が空いたようで、
それに寂しいと気づくのは、
成長している証なんですよね。

あとは、「ないものねだり」なのだろうと思います。

大変なときは「楽」が欲しい。
楽だけど、ないと欲しくなる。

こう思うのは私だけなのかなぁ・・・。

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