子どもの発達で抱く複雑な感情の正直な話 その2

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こんにちは、年中さんと年長さんの1男1女のワーママ heaco です。

言葉の発達がゆっくりなことをきっかけに療育を始めた現在年長さんの息子の発達のことで抱く正直な話のつづき。

言葉の発達もそうですが、
身体機能の発達もゆっくりな傾向の息子。

突如としてスイミングに興味を持ち、
園経由のスイミングを申し込みするも、
そんなつもりはないのだろうけれど、
半分断られたような感じになり、
(まあ、そもそもレベルが合っていないのが1番ですが)
個別でちゃんとレベルに合ったスイミングを探した我が家。

1日体験の息子の姿はとても素晴らしいもので、
親バカかもしれないけれど、
担任の先生が想像するような姿では決してなかったと思うのです。

1日体験を終え、
その日の晩に、
スイミングの担当者から電話がかかってきました。

「お子さんたちはどうでしたか?楽しめましたか?」

2人とも楽しめていたことを伝え、
しかし、
「楽しかったけど、2回目はもうやらないと娘が言っている」ことを伝えると、
ちょっと残念そうな担当者。

まあ、そうですよね。

続けて、
「息子はまた来たいと言っているので、
息子だけでも通わせてみようかと考えている」
ことを伝えると、
娘の「やらない」ということを伝えた流れなのか、
「あ~、そうなんですね」と、
なんだか声のトーンが残念な感じに聞こえたのです。

ん?このトーンはどういうことだ?

できれば兄妹で通って欲しいというのはわかるのだけれど、
このトーンの低さが引っかかったのですが、
続けて、
「実は、スイミングをやりたいと言い出したのは息子であり、
息子にこそやってほしいと思っているのが本音です」
と伝えました。

もちろん、
娘も当初は「やりたい」と言い、
見学を見て「やってみたい」と言い(気分だろうけれど)、
娘も興味を持てばやらせてみたいのですが、
本人が「楽しかったけど、やっぱりやらない」と言うので、
無理にやらせようとまでは思っておらずで、

そんな話を担当者と続けていて私がすぐに感じたこと。

おそらく担当者は、
娘のほうにこそ通って欲しかったようなのです。

だから、あの残念そうなトーンだったのね・・・。

ここで正直な感情を言うと、

またこれか・・・

と。

私も夫も特に運動ができるわけではなく、
むしろ私は運動音痴で、
スポーツはそんなに好きじゃないタイプです。

発達云々は置いておいて、
遺伝とかそういうのを考えたときに、
おそらく我が家は運動センスあるほうのタイプではないと思うのです。

遊びだって、外遊びよりも家遊びが好きな娘。
息子同様に娘の運動センスが特別良いと思うことはあまりなく、
息子と比べたときに、娘のほうがセンスがあるということなんだろうけれど、
担当者の方曰く、
娘がスクールに来てくれたら伸びそうな気がしたので、
「なんだかもったいない」
とのこと。

娘をそういう風に良く見てくれることはとても嬉しいのですが、
やる気満々の息子はどうなの?
そのやる気に関して、担当者さんはどう感じるのか?

そこにまた複雑な感情を抱いてしまったのです。

2人とも我が子だからこそ余計に複雑。

娘のセンスの良さと息子のやる気は同等に素晴らしいものだと思うのですが、
そう感じませんか?

センスはあれど、そこまでやる気がない。
センスはなくとも、やる気満々。

伸び方は同じくらいだと私は思うし、
伸びの結果を見れば、
センスが良い分、伸びも早そうなので、
元々のセンスが良いほうが良いのかもしれないけれど、

やる気満々の子を差し置く理由は全くないと思うのです。

こんなトゲのある言い方はしていませんが、
園経由のスイミングの悔しい思いの話をしながら、
そういうことを担当者に伝えました。

「そんなことがあったんですね」と担当者さん。

いろんな思いで、
いろんな目標を立ててお稽古を始めると思います。

我が家がスイミングを始めようとしている理由は、
もちろん、本人の発言がきっかけですが、

息子にしろ、娘にしろ、

級を取得してレベルアップをしてと言うよりは、
「楽しくできれば」というのはあるけれど、
実はそういうことよりも、
本人の身体機能の底上げをしながら体力作りをし、
水がどういうものかを体全体で知ってほしい

というのが1番です。

それが理由なので、
スイミングスクールではなくて、
家族で温水プールとかに定期的に行くというのでも良いのですが、
夫婦そろって運動が出来るタイプではないので、
泳ぎ方とかそういうことをおしえるセンスがなく、

スクールのほうが、
当然ながら、ちゃんとした知識と経験を持ったコーチが指導するから良くて、
プラスで集団行動の経験も踏めるから、さらに良いので、
スイミングスクールという選択をしたのです。

そこから本人の興味関心の方向性によれば、
私の出来る限りの応援をするだけ。

それを担当者さんに話しました。

そんな話をしていると、
「あ~、おかあさん、深いですね」
みたいなことを話す担当者。

こういう話をしてきた親御さんが今までにそこまでいないのかもしれない。

私も、
スイミングの一担当者の方にこういう話をするつもりはなかったのですが、

ここ最近、
「あ、またか・・・」
と思うことが多々あったので、
悔しくて話してしまいました。

「あ、またか・・・」

とういのは、

息子のことを思ってのことだということはわかっている

のだけれど、

私が敏感になっているだけなのか、
思い込みすぎなのかわかりませんが、

実年齢よりも全体的にちょっと幼い傾向にある息子は、
ちょっと支援がいるわけですが、
皆と同じ空間とか同じレベルのことをやろうとするときの、
ため息交じりのような雰囲気とか、
迷惑そうな微妙な表情とか(そんなつもりはないのかもしれないけど)、
除け者にされたような感覚に陥って、

ハッキリ言って毎回ウンザリ

してます。

全くレベルに合わないことをするのは間違いであるし、
何でも出来るようになるためのステップの順序はあるわけで、
私としても、
「ステップアップしすぎた」とか、
「順番が違うよね」と反省することは多々あり、
その度に、間違ったことをしようとしていた自分のなさに落ち込むわけですが、
まあ、気づいたから良いんだけど、
後味は良くないんですよね。

何度も言いますが、

相手は決してそんなつもりではないし、
息子のことを思ってなのだろうけれど、

「その顔、そのため息は、もうウンザリ」

と思うのです。

そういう小さな積み重ねがここ最近あったのです。

大きな出来事ではないけれど、
小さなこういう積み重ねというのも、
「塵も積もれば・・・」とはよく言ったもので、
ダメージはそれなりに大きくなるのです。

結局、

「本人のため」と言いながらも、
大人は一体何を求めているのだろうか、
大人の私でもわからなくなります。

個性だとか個人差だとか言うけれど、
結局は平均値を良しとしている、
それが出来る子を良しとする。

もちろん、年相応の発達が望ましいのだけれど、
個性だとか個人差だとかの矛盾に感じることが多いわけです。

こういう壁にぶち当たる回数は多くて、
今は私が感じることが多いのだけれど、
もう少し年齢が上がれば、
本人がそれを感じ始めるようになり、
本人がそれに苦しむときが来るかもしれない。
(もしかしたら来ないかもしれないけれど)

自尊心が傷つかずに生きていくことなんてできないだろうけれど、
傷つかない世の中にすることも不可能なので、
傷を負っても自分で治せるメンタル力をつけさせるのが私の役目かなとも思う。

育児を始めるまでは、
というよりも、
息子の発達を指摘されるまでは、
こんなに深く考えたことなんてなかったのです。

放任するほうが子どもは伸びる

単純にそう考えていましたら、
そんな単純なことではなかったなと。

それに気づかせてくれたのは息子であり、
息子のおかげで私の考え方は180度変わったとも言える。

まだまだ思うことはたくさんあるけれど、
それはまた次回・・・。

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