子どもの物欲への受容と我慢と熟考と推考と断捨離

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こんにちは、小1と小2の一男一女のワーママ heaco です。

お店で子どもが何かを欲しがったときの我が家の対応方法
と断捨離の話

あまり物欲のない現在小2息子と、
物欲高めの小1娘。

お店でおもちゃコーナーなんて見ちゃうと、
やっぱり欲しくなっちゃうよね、おもちゃ。

物欲があまり高くない息子でも、
「欲しい」「買って」とは言わないまでも、
「遊んでみたい」と言って、
おもちゃ欲しいアピールをしてきました。

物欲高めの娘は、
どストレートに「欲しい」「買って」とおねだりをし、
まさに、子どもがおもちゃを欲しがるアピールをしてきたものです。

当時、
育児本や育児サイトを読んでは、
育児の参考にしてきたものです。

そこでよく目にした内容はこれ。

「否定せず、まずは共感」
というもの。

要は、
子どもが興味を持ったものやことに対して、
「そうだね」と声掛けをして共感するというもの。

まあ、子どもに限らず、
自分が良いと思ったものやことに対して共感してもらえることは人として、
いや、
生きとし生けるものにおいて嬉しいことだよねと。

しかしやはり現実というものはあって、
なんでもかんでも自分の思い通りにはいかないし、
もちろん経済的なこともあるし、
我慢、熟考、推考は必要なわけです。

子どもが「欲しい」といったおもちゃに対して。

「おかあさん、見てみて~!これ欲しい!!」
または、すでに手にしている場合。

「なになに、どれどれ?」
(はい、ここで自分も興味を惹かれてみる)
「本当だね、これ良いね~!そっか、これは欲しいよね~」
(はい、共感)

「そうでしょ!欲しい、買って!」

「う~ん、でもおかあさんは買えないなぁ・・・」

「よし!サンタさんに頼んでみよう!!」

これです。
サンタさんに丸投げ方式です。

クリスマスがあまりわかっていない頃は、
クリスマスっていつ?
サンタさんって誰?
から始まり、
この一連の出来事が春とか夏の場合、
クリスマスまでかなり先ですが、
それまでとにかく待って我慢です。

なんなら、本当に欲しいかどうかの熟考の期間でもあります

目の前のものよりも欲しいものが出てくるかもしれないし、
ずっとこのまま欲しいものかもしれない。
本当に欲しい物の見極めであり、
熟考の期間で、おそらく自然と推考するのではないだろうか。

そして最終的には、
「いつも頑張っていたらサンタさんはプレゼントしてくれる」
というモチベーションアップにつながるわけです。

始めこそ、
クリスマスまで待てないとか、
ブリブリ言っていたこともありましたが、
「欲しい物ができたときはサンタさんに頼む」
というのが定着してきた我が家であり、
「頑張ったらサンタさん来る?」
なんてモチベーションアップも定着した我が家です。

「これ頑張ったら、サンタさん来る?」
と話しながら、
いろいろ頑張っている我が家の子どもたちです。

物欲が強い子どもだった私。

子どもの頃は、おもちゃが欲しくて欲しくてたまらなかったのです。
よくおねだりをしました。
当然買ってくれることはほぼ皆無で、
親の口から出るセリフは決まって同じ。

「買わない」「いらない」

そこで自分の中でショックだったことと言えば、
買ってもらえないというよりも、
「そんなものはいらないでしょ」
という否定に近い言葉。
ときには、「くだらない」とも言われたし、
「なんでそんなものが欲しいの?」
と言われたこともあったように思います。

当時は何にショックだったのかはあまりわかっていなかったのですが、
思い返してみて気づきました。

もちろん、
誰かにとっては魅力的でも、
別の誰かにとっては何も感じないし、
むしろゴミと感じることだってあるわけです。

それはそれで良いのです。

だって、考え方、物の見方は千差万別

だけれど、
自分が魅力的に映っている物に対して、
あからさまに無駄と言われるのはなんだか気持ちの良くないもの。
ある人にとってはゴミと感じている物を自分は欲しがっている。
そんな自分に興ざめすることもありました。

しかし、
もう一度言いますが、
考え方、物の見方は千差万別。

なんでもかんでも共感しないといけないわけではないし、
どうしても共感できないことだってあるのです。

でもでも、
否定の言葉はなんだか悲しい。

共感できなくてもいい。
ただ、「それが良い」と思っていること自体を受容してくれればそれでいいのです。

共感と受容なのだろうか。

ここ最近の「共感」と言えば、これでしょうか。
〈過去記事〉推し活による断捨離

我が家の「らんま1/2」ブームです。
懐かしアニメキャラのガチャがたくさん登場し、
らんまもそのひとつです。

子どもたちとガチャをしたんですがね、
これも共感の中でやりましたが、
これがまあ楽しかったのです。

ガチャもそんなに安くはないので、
コンプリートさせたい気持ちをおさえて、
おこづかいの範囲内でやりました。
つづきは来月にしようとか、そんな感じ。

そして、
子どもたちとらんまのガチャをしたのが楽しかったという話を夫にしたのですがね、
「へ~、良かったじゃん」
「そういうのって大事よ」
と。

あ~、きっとこれは受容なんだろうなぁと、
今になって気づいたんです。

夫は特に らんま に興味はありません。
漫画を知っているという程度で、
それ以上でもなければ、それ以下でもない。

なので、
共感するとかしないとか、
できるとかできないとかではなく、
私がらんま好きという事実をただただ受け止めるだけ
そこには否定は一切なく、
むしろ承認があるだけ。

こう考えると、
子どもの頃の私は親に受容してほしかったんだろうなぁと気づいたり。

しかし、
未だに、インテリアとかグッズとかは好きで、
「欲しいな」と思うことは度々であり、
やはり私は物欲強めのタイプの人間であり、
そういうところはやはりずっと変わらないなと感じているのですが、
現実的なこととか経済的なこととかを考えるので、
欲はあれど、
きちんと我慢、熟考、推考はする今なのですが、
こういうふうに成長できたのは、親の教育のおかげかなとも思うのです。

教育方法なんていろいろだし、
受け取る側も様々だし、
何が正解かなんてわからないけどね。

でも、受容って大事な気がする。

その子の性格にもよるのだろうけれど、
「買わない」の一点張りだと、
意地になることだってあって、
そうなると、
本当に欲しいのかどうかがわからなくなるし、
我慢できるものも、意地が邪魔をするというかなんというか。

妙な意地を出さないのが受容のような気もする。

そんな感じの我が家。

12月に近づくにつれ、
「サンタさんに頼む」と話してくる子どもたち。
娘なんて、
春ごろからお願いしている物があって、
ときどき忘れたりもしていたり。

まあ、熟考推考を重なてくださいな。

しかしまあ、これもサンタさんを信じている間というのもあるかもしれないし、
あと数年したらどんな感じになるやら。

クリスマスまであと数か月。

子どもたちの頑張りにより、
また物が増えるわけで、
急に涼しくなってきたし、
その日までに、酷暑ゆえに中断していた断捨離を進めなければならないなと。

過ごしやすい気候になることで、
断捨離を進めなければならないプレッシャーにかられる私・・・。

いろいろ頑張れ私・・・。

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