「怒らなくていいこと」を怒ってしまうこと

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こんにちは、3歳と4歳の1男1女のワーママ heaco です。

「怒る」と「叱る」って、一見同じようで違うんですよね。
その正しい違いというのはよくわからないのですが、
私個人が思う「怒る」「叱る」の大きな違いは、
「感情的になるかならないか」
というところでしょうか。

「怒っているとき」は感情的で冷静ではなく、
正しい判断、対応というのはできず、メンタルも良いものではないとき。
一方、
「叱っているとき」は感情的ではないため、
実は冷静であって、メンタルはさほど悪いものではないのかもしれない

私が育児で心がけていること。

「怒らず叱る」ということ。

悪いこと、危険なことをした際は厳しく叱ります。
やさしくなんて注意しません。
善悪の判断ができない年齢。
「これをこうしたらどうなるか」という興味はあるかと思います。
本人が実際にやってみて経験することで理解するのは良いことなのですが、
それが悪いこと、特に危険なことは、
経験せずに、事前におしえることで理解をしてほしいと思っています。

3歳と4歳。

自分中心で、目先のことだけで判断する年齢。

特に4歳息子。
こちら側の指示に対して理解をし、従えるようにはなったものの、
姿が視界から一瞬でも消えるのがコワイくらい目が離せません。
視界から一瞬消えたときは、最大限に息子の声と気配に気を配ります。

あたたかく過ごしやすい気候になり、
庭で遊んだり、散歩に出かけたり、
外で遊ぶことが多くなりました。

家の中よりも目が離せず、
子どもたちに危険がないか、
いろいろ気を配る中、追いかけたりで、
メンタルも体力もともにヘトヘトになります。

外遊びに飽きたのか、ときどき家の中で遊ぶ子どもたち。
その合間を見て、家事を片付ける。

先日のこと。
外遊びをし、ときどき家の中へ。
天気が良い日は特に、外で遊びたくなるのか、再び外へ。
なので、
新幹線が見えるルートをドライブして、
そのまま、近くのふれあいセンターへ。

ふれあいセンターの公園で遊んだら、施設の中を散策。
「児童館に行く」と言って、児童館へ走り出す息子。
走るのが速く、娘がおいてけぼりに。
娘も目が離せない。
ギリギリまで視界の中に息子の姿を捉え、
視界から消えた瞬間は、
だいたいこの辺にいるというのを、息子の声と走る足音と気配で把握。
児童館へ向かっていると思われ、
息子は児童館と目と鼻の先の様子。

数十秒遅れて児童館に着くと、
息子が児童館に入った形跡がない。

その様子を見ていた児童館職員さんが気づき、
私も職員さんに、
「男の子が来ませんでしたか?」
と聞くと、
「もしかして、黄色の服を着た子ですか?」
と。

息子の姿を見ていた職員さん。
どうやら児童館ルームをとおりすぎていった様子。

娘を児童館に預け、急いで職員さん2人と私で施設内を探し回る。

施設内にいるとは思うけれど、
もし施設外に出ていたら、
バスや車通りがあるため、事故の危険性もある。

不安の中、施設内の思い当たるところを走り探し回る。

すると、児童館のすぐ隣の男子トイレで発見。

おそらく、
トイレに行きたかったのか、
児童館で遊ぶ前にトイレに行こうとしたと思われる。

そんなことがありながらも、
何事もなかったかのように児童館で遊び、
ヘトヘトで帰る私。

帰宅早々にお風呂に入り、
あとは家の中で過ごし、晩ごはんを食べて就寝。
「これで今日もなんとか1日危険なことがなく終われそう
と安心していたところ、
早めのお風呂だったため、外はまだ明るく、
「外で遊びたい」と言って1人外に出ようとする息子。

もうね、

仕事が終わったと思った瞬間に、
「今日中に済ませてね」と新たな残業を渡されたような、
終わってない仕事を見つけてしまったような、
そんな感覚です。

私にとって、子どもと過ごす休日というのは、
楽しく1日過ごして、子どもにとって良い経験が1つでもできること
というのはもちろんなのですが、
何事もなく、無事に1日過ごす
というのが根底にあります。

まさしく保護者というか。

だから、子どもと過ごす時間は危険がないように気を張るので、
メンタルが疲れます。

昼ご飯も食べずに、ぶっ続けで外遊びをしたので、
お昼過ぎくらいから、私はめちゃくちゃ眠たかったです。
でも、子どもは疲れ知らずというか。

そんな1日を過ごし、「これで今日も安全におしまいだ」と少し安心したところのことです。

爆発してしまった・・・。

大きな声で感情的に。
「外に出ないで」と。

感情的な中でもなるべく冷静さを保とうとして「外に出てほしくな理由」を告げるも、
感情的だったためか、
泣きそうな声で「外に出たい、遊びたい」という息子。

息子は悪いこともしていなければ、危険なこともしていない。
こんな大きな声で怒る必要など全くない。
私の器の問題。
そんな私の様子に気を使ってか、全く関係のない話をふってくる娘。
「娘ちゃんは、お家でこのお菓子を食べようと思うの」

結局、祖父(私の父)がフォローに入り、祖父と一緒に少しだけ外遊び。
完全なワンオペ環境にない、私の恵まれた育児環境です。

外遊びを再び見守る元気がなかったのと、
せっかくのお風呂上り、外遊びの仕方によっては、またお風呂に入れないといけないかもしれないとか、
二度目のお風呂の元気がないとか、
いろいろです。

感情的になってしまうなか、
娘に対してはなるべく普通の対応を心がけるも、
メンタルは疲れ切っています。

気持ちが少し落ち着いてきたところで、
息子に対して、怒らなくてもいいことで怒ったことに罪悪感を抱き、
私の少し落ち着いた様子を察知した娘は、また気を使っているのか、
「息子ちゃん、外で遊んでるの?困るよね~」
と話してくる娘。

この子は、本当にときどき大人になります。

息子に対して怒らなくてもいいことで厳しく怒り、
また、気を使っているのか使っていないのかわかりませんが、
そんな娘の両方に心が痛む私。

息子の外遊びは、日が暮れてきていたのもあり、10分程度で終了。

満足した息子は、
先ほどの出来事は何事もなかったような感じ。

激しく怒られたにもかかわらず、この様子。
これがある意味息子の良いところではある。

だから私も罪悪感を抱きつつも何事もなかったように、
やさしく話しかけ、おどけたりする。

怒らなくてもいいことで怒ってしまうのは、
子どもが大事だからこそ
なのかもしれないけれど、
当然だけれど、
怒らなくていいことは怒りたくない。

育児とはまさしく育自(育自分)ですね。

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